東京が大好きだった頃

東京と言っても郊外で育ったので、

思春期は、東京の中心部にものすごく憧れた。

私立中に下から通っているような、

『オリーブ』に出てくるような女の子になりたかったのかもしれない。

『雑貨カタログ』がまだ定期刊行物になる前に暗記するくらい眺めていたし、

高校時代は、「アフタヌーンティールーム」が入る

高島屋系の雑貨屋さんでアルバイトしたりもした。

 

大学時代は、早稲田がちっとも好きになれず、

できたばかりの渋谷の文化村でアルバイトをしていて、

そちらのほうが忙しかった。

何もできない私を社員の方がよく面倒みてくださったなあと思う。

洋書が安く買えたり、フランス映画がタダで見られたり、

よい時代だったなあと懐かしい。

 

そして、卒業して入った編集部は、

60年代の空気をまとった編集長がいて、そこで編集の基礎を叩き込まれた。

西武百貨店の全盛期を知るデザイナーさん、

青山に住んでいた三つ編みパーマの編集長、いろいろすべて懐かしい。

 

そこから、ひとり暮らしをして、海外提携雑に転職をして、

イギリスに2ヶ月くらい滞在した後、ドメスティックな生活雑誌を作るようになった。

20代は、怒涛だったなと思う。

計画し、行動することが楽しくて仕方なかったのだ。

引っ越しも何回もして、あっちこっち行っていたけれど、

それはもちろん、東京の中でのことだった。

その中で、もう20年前になるけれど(!)、星にも出会ったのだ。

 

32になる目前で無謀にもフリーランスになり、

集英社や講談社などで仕事をさせてもらうようになった。

ライフスタイルのライターとして、本当に何でもやり、

それなりに稼げるようにはなったけれど、

なんだか自分の専門がよくわからなくなっていた頃に、

この「Saya」が始まった。

 

それからは、連載中心だとあまり出版社に行かなくてよくなったので、

ひと月とか休んで海外に行ったり、取材で地方に行くことも多くなった。

その時代もすごく楽しかった。

毎日が充実して、いつもキラキラしていたような気がする。

渋谷で自宅サロンにしていた時代もある。

 

うん、だから、東京を離れたくない人の気持ちもよくわかる。

私は、そういう東京ライフも送った上で今は京都がよいのです。

 

東京での生活も、仕事は相変わらず忙しいけれど、

だんだん東京にいてパワーがなくなるようになって、

取材で沖縄に行ったのをきっかけに、

離島のビーチなどでエネルギーを補給するようになった。

沖縄に移住する前年は、年に4回も行っていた。

それで沖縄に長期間滞在し、そして夫に会ったという流れ。

まさかの大学時代、同じ空気を吸っていた相手だったけれど、

もちろん当時は会っていないから、ご縁というものは本当に不思議だなと思う。

 

そうやって、徐々にテリトリーを広げてきて、

今は、京都がよい。でも、それもいつか変わるかもしれない。

仕事は、やはり東京に集まっているものだから、

このまま東京のクライアントからいただくのが理想だけれど。

惹かれているのは子どもの頃、毎年訪れていた八ヶ岳。

私が生まれ育った土地は、祖父母が疎開しただけで、

そんなに愛着があるわけではないので、むしろ八ヶ岳が懐かしい場所。

 

ひとつのところに代々、住むという家系もあるだろうし、

私はむしろ代々、東京の母方の母方よりも、

そこにつながった母方の父方である豊臣方の血が強いのかもしれないな

(もともと徳川方だったけど、お目付で豊臣家に入っていたらしい)。

だから、ちょっとじゃじゃ馬なのだろう。

 

家の隣で畑をやれるけど、新幹線の駅に十数分で行けるなんて、

やっぱり東京ではあり得ない。

畑があって、時々、東京や神戸に出かけて、年に一度くらいは沖縄にも行って。

それで十分楽しいのです。

東京でも、京都でも、大阪でも行きたい展覧会や映画にも行けるし。

 

でも、東京で加速しているときはわからないよね。

それでいいのだけどね。

みんな同じ必要はないのだから。